倒産からの軌跡第3章



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◆ 独立そして絶好調 ◆

■独立してから徐々に売り上げも上がり儲かってきた。 
この辺りから仕事の話が多くなる。

1店舗目をだしてから半年後には、もう1店舗出す事になった。
この2店舗目を出すときがこれからの転機を迎えるわけだが、

■私は最初独立して始めるとき3年したときに
もう1度みんなにこの会社の方向でいいか話し合おうと決めていた。
(最初の方向性というのはまずはお金を儲けて。3年後に儲かったお金を
どうやって投資するかそれとも分けるかという方向性だった。)

そして2人には、会社でがんばった取り分というか、
3年後に決めた金額を渡せるようにがんばろうと決め、スタートした。

■今から考えればこのスタートの時点で、金のことしか考えず 
普通の会社の創業とはなんだか違う状況だった。
「考えが浅はか過ぎる」

■半年したときに私は、お金も欲しかったが、地位とか名誉みたいなものも、
欲しくなってきていた。




2店舗目を出す時に 事務員などを増員し、パソコンを全員分導入して
組織として確立していきたいと、2人に話をした。

■その話のときに3年後のお金の話はそこで終了して
会社を大きくしていこうということで話はまとまった。

多分この2人はこの会社の方向性は気に入っていたと思う。
そしてやると決めたらどんどん私は設備投資をしていった、

■1年目から銀行も保障協会つきではあるが、4000万も貸してくれた。 
人の力を借り手の融資であったが、これにはびっくりした。

2年目には3店舗目を出しこの店には1000万もかけた。
このころのリフォーム業でショールームつき店舗というのは珍しかった。 

■リフォーム業界では少ない投資で設けるというのが、
コンサルタント関係でも流行っている鉄則だった。


ショールームつき店舗は、一気に加速する売り上げの伸びがあった。
このころの売り上げの伸びの加速と同時に遊びも加速していった  

■このころで年商は4億  年収は3000万だった。

ひとりではないが1日100万ぐらい使う日が何度も記憶に残っている。
従業員も増えてきて3年目には20人は超えていた。 

■それからの生活は仕事もしてはいたが 遊ぶ事が中心の生活になっていた。
海外旅行にも年に6回ぐらいのペースでいき高級車にも乗るようになった。 
遊びと仕事順番が逆になり 遊びのほうが増えてきていた。

毎日酒と女とゴルフ そして更に新しい事がどんどんやりたいという願望は
人一倍強くいろんなものにお金を使って
株 先物 組合 他社への投資なども、するようになった。

■銀行も会社の業績が決算上順調なので貸してくれていた。

ただ株 先物などは、ギャンブル性が高くことごとく失敗もしくは、
すぐ断念したりの連続だった  
これも勉強不足で飛びつくのが、悪い癖であった。

そんな毎日が半年つづいた。
そしてこのころから当たり前のように、 会社の資金繰りも苦しくなってきた 
ただ従業員も増えていたので更に店舗を出す事になった 

■反省と勉強━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

■お恥ずかしい話です。
自分で書いていて、嫌になる話です。

アホとしか言いようもありません。
ただこれが私の真実で何も考えていませんでした。
しかもこれが俺の実力だ位に感じてたのだと思います。

■そして勉強ですが
まず最初に社長自信が甘えないことです。

私の反省を一言で言っても甘えです。
自分への甘えが社員の甘えにもつながります。会社も同様で自分との鏡です。
成功してる俺はいけてると感じた瞬間から堕落していきます。

■人間の悪い欲が出てきます
そうなれば成功も何もなくなります 

成功するには
まず成功していると感じないことが1番重要なのではないでしょうか

■2番目に独立するとき経営中でも「 起業ドメイン 」企業の目的は、
はっきりと自分の意思表示として、また従業員のみんなにも分かりやすく
目標となるものを掲げるべきです。

私が最初のメンバーに行ったことは、「お金をためて3年後に考え直そう」 
この話では3年後にどうなるのか または、
金だけかと変な気持ちが心には残るかと思います。

■以前のメルマガに書きましたが、
人の欲求の中で一番低いものは、生理的欲求でありお金がその中に該当します。



全員がそうとは言いませんが、
あくまで社長と従業員は、年齢が同じで職業が同じであっても、
同じところを目指しているとは限りません。

■私が経営の中で一番気がついたところですが 
人の気持ちは、自己実現であり安全の欲求であり、
その部分がまずは満たされてから、
会社としての組織は機能するのではと考えます。