倒産からの軌跡第3章



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◆ 学生時代から就職 ◆

■私は学生の時も含め10年ほどサッカーをしてきました。

サッカーで1流の選手まで到達はできず 学生の頃は
遊ぶことに夢中の人生を送ってきました。
学生のころ遊びに関しては、人1倍楽しんだと思う 

■高校3年になり、就職しようと思い 自動車会社に入る話が進んだが
2年間自動車の専門学校にいって就職ということになり
専門学校に行くことになった。

このころは、「何になりたい」などの意思が全く無く楽しければ 「いいや」 
としか、考えてはいなかった。 
専門学校で遊ぶことは楽しかったが、車に興味が無く
その学校は辞めてしまった。

■意味が無いから辞めたわけだが 他の理由として  当時に
酒を飲み人の家に車で突っ込んでしまう大事故を、起こしてしまいました。 

車 家などは大変な事であったが、一番大変だったのは
隣に乗っていた女の子の顔が、ぐちゃぐちゃだった。
当然保険が利くわけもなく、とにかく働くしかなかった。

■その女性と結婚しなければいけない そう思っていたが運良くその女性には、
嫌われてしまい、お金で解決することになった。

月々に返せるお金は決まっていたので、
早く稼いで終わりにするしかなかった

■私のアルバイトは水商売 そのころはバブルが弾ける頃で 
夜の商売は少し前かなりの全盛期だった           

もう少し以前に夜の仕事にであっていたら、
そのまま夜の仕事になっていた気がするぐらい華やかさは残っていた。
アルバイトで稼いだ金では、事故での借金を返せる状況ではなかった。

■そんなときにお金を借りたのだが 
借りた2日目で30万が70万になってしまった。 

今で言う紹介金融だが、 その当時19歳で保証人もなく
30万も借りるにはいろいろと無理があった。その30万を借りるのに
簡単に言うと40万円の手数料を払わなければいけないということだった。

非常にあせり それから無我夢中で高給のアルバイトなら何でもした。
それこそおかまから 運びや 魚屋 1日睡眠は3時間で後は全て働いた 

そして2ヶ月で70万は完済した。

■ただ何かが変わったということは無かったが、
仕事ということを真剣に考え出した。

そのころ 今でも付き合いのある先輩で、鈴木という人がいた。 
鈴木さんは、水商売のアルバイト先の社員の方で、遊びから仕事
人生の生き方までを教えてくれた人だった 

■その人が言うには 
「成功を志して仕事をするのに お前は 学歴もなく才能もないのだから
  水商売か 力仕事か、営業しかない」といわれた

営業 ノウハウ


水商売と力仕事はやった事があるので営業職に就いた。
そのころは簡単な動機で営業職に就こうと思った。 
今考えれば言われた言葉がすばらしかったと思う

■そして営業職だが 目指せ100万円の募集広告につられ 
屋根の上にのせるソーラーを販売する会社についた。

営業ノウハウ


ソーラー会社は、面白く無かったが、とにかく収入は良かった。
入った新入社員の一月目で60万円も給料を貰えた 

■ただ朝から晩まで働きずくめ 昼間は結構休憩はあるが夜は11時まで 
お金を、使う暇もなかった。 他の社員の人たちは、私では考え付かない
ような苦労をしている人たちばかりだった。

それこそバブルで億の借金がある人も働いていた。
それから会社を辞めることになる。  

■やめるきっかけになった事は
先輩に無理やり契約を横取りされたことだった。無理やり横取りされる理由が、
リーダーという人がいて、リーダーは必ず1日 1契約しないと
そのチームが会社には、帰れなかった。

「先輩に契約を取られるような会社は辞めます」といって辞めたが 
本当の私の心では、違った 

■仕事の内容は訪問販売の会社だが夜10時からでも、契約が無ければ
寝ているところにチャイムを鳴らして起こす会社だった。

やめる前の日の夜は、雨が降っていて、その雨の中、傘もささずに
隣の家まで歩いていった 隣の家というのが500メートルぐらいあり、
家までたどり着かずに、大きな石があったので座ってしまった。

隣の家まで歩いていけず上司には、「家を空けてくれませんでした。」
と報告した。この会社は確かに稼げるが、疲れすぎる為やめることにした。

■そのとき勉強になったことで、雨の中傘もささずにいけば
家に上げてくれるかもしれないという教えだった。 

■すごい 教育 方針だったが そのころの 教育は今の私に為になっている。
ある程度の金はできたが、まだまだ返さなければならない 
このころの借金は、400万ぐらいだった。

次の会社はお金も稼げてもう少し楽しそうな会社にしようと考えていた。